アナログ礼賛

日本人の美學のバイブルと言われた、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』。

1996年にこの本を読んだとき、エロい描写が鋭い谷崎潤一郎が、美の本質をこんな繊細に言葉にできるのか!と驚きました。

この『陰翳礼讃』の中で、谷崎潤一郎は「美は物体にあるのではなく、物体と物体とが作り出す陰翳のあや(明暗)にある」と言っています。

この「陰翳のあや」とは「暗闇の中の抑揚」のこと。そして、暗闇の中の微かな明暗にこそ、美しさがあるというもの。

つまり、美とは表面的ではなく、むしろ一見わかりずらいところに、潜んでいるということかもしれません。

あのバウハウス建築家の巨匠ミース・ファンデル・ローエが標語にした、「神は細部に宿る」という言葉にも、似たニュアンスが含まれていますしね。

それなら、もしかすると『陰翳礼讃」をアナログとデジタルに置き換えたら?

なんか面白そうと、ピンときて、『アナログ礼賛』と題し、無理くり掘り下げてみることにしました。


左:Tivoli Audio『Model One 』(アナログ)     右:Tivoli Audio『MODEL ONE DIGITAL』(デジタル)

 


左:LEICA M(デジタルカメラ)          右:LEICA R6.2(機械式フィルムカメラ)アナログ

 

 

アナログとデジタルの違い

ここで、アナログとデジタルについて、簡単に触れておきます。

アナログとは、情報を順番に積み重ねていく処理方式。

デジタルは、とびとびの情報を処理する方式のこと。

 

例えて言うと

「アナログは液体」「デジタルは粒子」
「アナログは坂道」「デジタルは階段」
「アナログはダイヤル」「デジタルはボタン」

この例えをイメージしてもらうと、アナログはギュッと詰まっていて、デジタルは隙間があるって感じです。

アナログの方が情報量が多く、デジタルは必要な情報だけを抽出したもの。

 

今度はその違いですが、最も違う点は2つ。

それは『複製』『希少価値』の概念です。

 

 

 

【 複製 】

デジタル化によって、モノの複製が容易となり、とても便利になりました。

それとは反対にアナログは、人が手間暇かけて作り上げたモノなので、数に限りがあり、簡単に複製することができません。

だから、時間と共にその希少性が増し、時間的価値が生まれます。

そう、ビンテージやアンティークという概念ですね。

まあその分、アナログとは融通の効かない、不便なモノとも言えます。

 

 

 

【 希少価値 】

例えば、ロレックスやレスポール、クラッシックカー、ラジオなど、1950年~1960年代のモノって、今では、驚く程高価なモノばかりです。


ROLEX Submariner 1967

 


Gibson 1953 Les Paul Standard Gold Top

 


Ferrari 250 Testa Rossa, 1958


Braun SK1 Radio 1955

 

その上、保存状態が良ければ、半世紀ほど経過していてもちゃんと動くってホント凄いことですよね。

このように、アナログの中には時間の経過と共に、希少価値が上がるモノがあります。

それに比べて、デジタルには希少性という概念がありません。

では、何故アナログには、このような希少価値が生まれ、高騰するのか?

それは、多くのモノがデジタルに変わっていき、限りあるアナログ製品の数が減っていくからです。

そして、希少価値の高いモノを所有して、周りから「違いのわかる人」とリスペクトされたいと思う人が出てくるからです。

但し希少なモノは、お金さえあれば誰でも手にすることができる、というモノでもありません。

それなりのコネクションや、運、その価値を理解することのできる、知性や包容力に愛情などが必要です。 

最新のギブソンレスポールを100台買うことのできる人は、世の中にごまんといるでしょうが、今、1959年式のオリジナル・ギブソンレスポールを1台買うことのできる人は、ごくごく僅かです。

そんな希少性の高いモノには、その所有者こそが選ばれし者、と思わせる魔力があります。
そして、その魔力に取り憑かれると、沼っていくという。

ご多分に洩れず私も、それほどゴージャスなモノではないけど、ずいぶん前にかなり沼って、やっとレスキューされた時には、真っ白な灰になって失神してましたから(笑)

 

まあ、こうしてビンテージという概念が生まれるわけです。

 

 

 

デジタルにビンテージは存在しない

2020年はデジタルの変革期の年。通信規格5Gの導入に合わせて、デジタルと通信が本格的に統合され一体化していきます。

デジタル製品をワイヤレスで遠隔操作し、今後は、AI(人工知能)が予測して判断するようになり、通信によってデジタル製品を制御していくのは間違いありません。

このように、より制度を高め、常に最新のファームウェアにアップデートを繰り返していくのが、デジタルの真骨頂ですから、「古い方がいい」「味があっていい」など、情緒的な要素はデジタルには不要です。

むしろ、デジタルは正確さが売りなので、新しく精度の高いモノが良いに決まっています。

そのため、デジタルにはビンテージやアンティークといった価値は存在しません。

 

 

 

アートとデジタル

今度は、デジタルがアートにもたらした影響について見てみましょう。

元々アートとは、人の手によって製作され、2つとして同じものは存在しないモノ。

しかし、1960年代に入り、ロイ・リキテンシュタインやアンディ・ウォーホル のように、シルク印刷の技法を基に、大衆文化をテーマとしたアートが大量印刷され、ポップアートが台頭し始めました。

アートとは、その圧倒的な技術や技法を崇めるだけではなく、メッセージを込めた『コンセプト』そのものがアートなのだ。という新しい価値観ですね。

これにより、いろんな人が好んで様々な表現方法で作品を製作するようになりました。特に普及したのが、PCによるオンデマンド化です。

それは、グラフィックや写真に映画、音楽、モーション・グラフィックスであったりと多種多様です。

こうしてアートは、デジタル化によって、ストリートへ近づいて行きました。

 

ちなみに最近話題となった、ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営する、スタートトゥデイの前澤友作社長が購入したバスキアの絵画が123億円。

また、2014年のクリスティーズのオークションでは、ウォホールの「3人のエルビス」が95億円で落札されています。

Basquiat / バスキア (Untitle)



Andy Warhol / アンディ・ウォーホル (Triple Elvis)

 

こうしてみると、どちらもポップアートの巨匠だけど、シルクスクリーンのウォホールよりも、作品数も少なく自身の手で描いたバスキアの方が、希少価値が高いという証かもしれません。

 

私個人としては、強いメッセージを大衆と共有する、Banksy(バンクシー)のストリート・グラフィティーが好きです。彼は相当高度な技術を持っていて、ひっそりとゲリラ的に現れ、一瞬で作品を仕上げていきます。

しかも、一瞬で伝わる皮肉たっぷりのメッセージが作品に投影されていて、そのサイレント・シュプレヒコールに共感するんですよね。


Banksy

 

 

 

オーディオとデジタル

では「モノとオト」でも扱うオーディオ製品は、アナログとデジタルについてはどうなのか?

オーディオの起源はモノラルラジオで、1950年初頭にステレオ方式が市販されるようになり、その後1960〜1970年代にかけて、第一次オーディオブームが到来しました。その当時のオーディオは、コンポーネントステレオという、大きな家具のような贅沢品で、リビングの一番いい場所に鎮座していました。

Sansui ステレオ APS-530 1965

 

この頃から、真空管がトランジスタに変わっていきますが、今でも真空管の暖かい音を愛するファンは多く、依然その人気は絶えることがありません。

現代では、アナログのハイエンド・オーディオをよそ目に、BluetoothやWi-Fiで、いつでもどこでも楽曲を聴くことができる、高音質ポータブルオーディオが席巻しています。

私は、このミドルレンジのオーディオを勝手に愛を込めて、Mid-Fiオーディオ(ミッド・ファイ)と呼んでいます。

このMid-Fi(ミッド・ファイ)オーディオ、中身はバリバリのデジタルで、基本的に圧縮音源を再生するために製造されたモノ。中には、CD再生用のHi-Fiモデルもラインナップされています。

再生するメディアも、

1887年に発明した円盤型レコードを起源とし、その後、カセット→MD→︎CD→︎︎ダウンロード→︎︎ストリーミングと変化していきました。

こうしてオーディオの世界は、多少音質が劣化しても、「いつでもどこでも、簡単に音楽を聴きたい」というニーズに答えて発展してきました。この音楽を聴くために場所を選ばないことこそが、オーディオにもたらした革命です。

 

 

 

 

積み重ねのアナログと時短のデジタル

新人類が誕生したのが、今から20万年前。

今の勢いでデジタル化が進めば、人類が20万年かけて積み重ねてきたアナログ文明は、地球と共にあっという間に終焉を迎えるような気がします。

因みに1942年に、アメリカで世界初のコンピューターが誕生しました。わずか76年前のこと。
たった76年間で、信じられないほど便利になったのです。

 

そんな今の地球は、大音量でモッシュして叫んでいるよう。

「女房は、味の出るアナログがいいけど〜♪  彼女は、いつも最新にアップデートできるデジタルに決まってるぜ ! ♬ ワォー

でも、ヤツはまだ、女房にも彼女にも捨てられた、ポンコツ・スキンヘッドだってことに気付いていない。

 

時間を積み重ねて行くアナログに対して、時を間引くデジタル。やっぱり人類にとってのアナログは、決して無くしてはいけないモノではないでしょうか……

 

 

 

まとめ

私の場合、アナログの情緒的で、儚い神秘さにどうしても惹かれます。

しかし、デジタルの都会的でクールなスタイリッシュさにも憧れます。

ただ、デジタルに時間やルーツといった、物語性を感じることはほとんどありませんが、アナログにはそのモノの背景にあるストーリーを考えてしまうことが多いです。

デジタルは生産性の向上が目的でもあるので、発案から完成までの全てを、クリエイティブにディレクションする人が不在になりがち。だから、人の心を掴むパッショナブルなプロダクトは、なかなかできない。

その点ではアナログの、意匠性よりもその背景に潜むヒューマン・ストーリーこそが、真にモノの価値を生みだす「陰翳のあや」なのかもしれません。

そしてそれは、いつの日かブランドと化していく。

だから私は、有名無名を問わずブランドが好きです。

そこには、伝統や思想を受け継ぎ、でも常に進化(挑戦)していく人が必ずいます。

そんなカッコいい

『アナログな人たちに礼賛』。

 

 

ぶん / Noboru